備忘録

感じたことをとりとめもなく書きます。

私大難化というウソ

週刊ダイアモンドやAERAやらがこぞってとりあげる話題として、『私大難化』というワードがある。
近年、大学改革に伴い政府は大学定員を抑制する法案を可決し、定員減と志望増の傾向が見られ始め、2018年度の有名私大入試にはそれが顕著になって現れた。(驚異の倍率を叩き出した青山学院大学地球共生学部など)
これは私大の門戸が狭まったことで倍率が大きくはね上がった(ようにみえる)ことを意味する。従来は私大の多くが独自の入試方式を展開し(立命館大、法政大など)、定員の枠を広げていたのだ。

しかし、問題なのは唐突な政府の政策でも、
政策を実行した大学側でもなく、いわゆる定員絞りを推進することで倍率が上がることをあたかも
入試難易度が急激に上がったかのように取り上げる
出版社およびマスコミ側である。
では何故私大難化を誇張するのか?それは
大手予備校が儲かるからに他ならない。マスコミが不安を煽ることで予備校は利益を得、広告代をマスコミが頂戴するという、癒着の構図である。

過去に私大が難化(入りにくい)時代はあった。
ベビーブームに始まる『お受験戦争』と呼ばれる80年代だ。私はその時代に生まれていないので、当時の受験生がどれほど苦労したは分からないが
おそらく2018年3月まで受験生だったわたしと比べたら、何十倍も大変だっただろうことぐらいは
分かる。マーチ関関同立がリアルに『難関私大』だった世代にとって『私大難化』というワードはクソほども響かない。悪しきゆとり教育にピリオドが打たれ、やっと平常運転か~、と思われるだけだ。

元受験生的目線で言えば
今年のセンターも関関同立の難易度も去年一昨年とそれほど差はない気がした。たとえば、
難化したといわれるセンター英語などは
基礎が盤石なら180はとれる問題である。私大についても、殊更にひねった問題もなかったし、
難単語を覚える必要性すら皆無だった。
ただ、『楽勝』と言える精神状態で受験に臨むなら、多少オーバーワークな勉強(二次対策)をしても損はない、
と思う。ちなみにわたしは私立大学生ではないが、
倍率が爆上がりしたと言われる関関同立の入試はセンター利用を含めすべて受け、すべて合格した。
2020年からセンター試験も様変わりし、
大学入試改革がいよいよ本格化するわけだが、
入試政策者も最初の年は様子見で
抜本的改革は避けるだろう。

『私大難化』に踊らされてはいけない。
目先の倍率ではなく実質倍率を見よ。
問題傾向が変わっても、
どこを重点的にやるかをしっかりと見定めてやれば
必ず合格する。
それはいつの時代も変わらない。

悲しみの果てに 第一回 : Group photos

"あの娘の本当 オレは知らない
あの娘のうそを オレは知らない
I don't know I don't know I don't know... "
NUMBER GIRL /I don't know



中学時代というのは不思議である。
当時は嫌で嫌でたまらなかったのに、
今は戻りたくて仕方がない。
思いかえせば、中学時代は何もかもが純粋で新しく、キラキラしていたはずなのに、
当時14歳のわたしは何もかもに嫌気がさして早く大人になりたくて仕方がなかった。
どうして、今あの頃に戻りたいんだろう。
どうして、あの頃のわたしは中学が嫌いだったんだろう。
その理由が今でもわからない。。。



90年代の終わり、
リエコは四国の寂れた海辺の町に生まれた。
父はライン工、母は喫茶店のウェイトレス。
典型的な労働者階級の家庭に育った。
貧困層の多い地域だったので、周りも似たような感じだった。
小学校時代をテキトーに過ごし、
中学受験なんてワードを知らなかった私は
他の子と同様、地元の公立中学に進んだ。
田舎にありがちなひどく退屈な学校だったが、21世紀なのにシンナーやってる先輩がいるという、ゆるい荒れ方をしていた。
リエコはというと、人づきあいが苦手な上勉強も運動もてんでダメだったので学校に行くのが毎日苦痛で、熱を出したふりをしてベッドから起き上がらないことも多々あった。
中でも、女子グループに入るのが昔から苦手だった。女子特有のドロドロした空気感に耐えられなかった。だけど3年間孤高の道を歩む勇気はなくて、お世辞と愛想笑いだけは人並みに上手くなったつもり。鏡を見るたびに自分は正常であることを確認し、同時に虚構だらけの自分に罪悪感を抱いていた。つぎはぎされた虚飾の蓄積がいつか剥がれてしまうこと、もう既に剥がれているかもしれぬことを恐れていた。正直になることはできた。
しかしリエコはそれを選ばなかった。
教室という箱は自分が自分らしくいることを拒絶するからだ。少女たちは本気なのか分からない冗談を言いあって、探るような視線を交わしながら
くだらないゴシップにふけった。


リエコの中学時代はウソで塗り固められていた。
自分を取り巻くものすべてがクソに見えた。

中学時代のアルバムを見返してみると、笑顔の自分がいないことに気づく。いくつもの三日月の目と白い歯が並んだクラス写真の中で、そこには歪んだ口元をした14歳のリエコがいた。どの集合写真でも、きっと彼女は一生懸命笑おうとしたのだろう。
わたしは充実しているんだ、と言いたかったのだろう。
でもその努力はすべて不発に終わっている。
隅っこでぎこちなくピースサインをする自分がいるだけで。