備忘録

感じたことをとりとめもなく書きます。

悲しみの果てに 第一回 : Group photos

"あの娘の本当 オレは知らない
あの娘のうそを オレは知らない
I don't know I don't know I don't know... "
NUMBER GIRL /I don't know



中学時代というのは不思議である。
当時は嫌で嫌でたまらなかったのに、
今は戻りたくて仕方がない。
思いかえせば、中学時代は何もかもが純粋で新しく、キラキラしていたはずなのに、
当時14歳のわたしは何もかもに嫌気がさして早く大人になりたくて仕方がなかった。
どうして、今あの頃に戻りたいんだろう。
どうして、あの頃のわたしは中学が嫌いだったんだろう。
その理由が今でもわからない。。。



90年代の終わり、
リエコは四国の寂れた海辺の町に生まれた。
父はライン工、母は喫茶店のウェイトレス。
典型的な労働者階級の家庭に育った。
貧困層の多い地域だったので、周りも似たような感じだった。
小学校時代をテキトーに過ごし、
中学受験なんてワードを知らなかった私は
他の子と同様、地元の公立中学に進んだ。
田舎にありがちなひどく退屈な学校だったが、21世紀なのにシンナーやってる先輩がいるという、ゆるい荒れ方をしていた。
リエコはというと、人づきあいが苦手な上勉強も運動もてんでダメだったので学校に行くのが毎日苦痛で、熱を出したふりをしてベッドから起き上がらないことも多々あった。
中でも、女子グループに入るのが昔から苦手だった。女子特有のドロドロした空気感に耐えられなかった。だけど3年間孤高の道を歩む勇気はなくて、お世辞と愛想笑いだけは人並みに上手くなったつもり。鏡を見るたびに自分は正常であることを確認し、同時に虚構だらけの自分に罪悪感を抱いていた。つぎはぎされた虚飾の蓄積がいつか剥がれてしまうこと、もう既に剥がれているかもしれぬことを恐れていた。正直になることはできた。
しかしリエコはそれを選ばなかった。
教室という箱は自分が自分らしくいることを拒絶するからだ。少女たちは本気なのか分からない冗談を言いあって、探るような視線を交わしながら
くだらないゴシップにふけった。


リエコの中学時代はウソで塗り固められていた。
自分を取り巻くものすべてがクソに見えた。

中学時代のアルバムを見返してみると、笑顔の自分がいないことに気づく。いくつもの三日月の目と白い歯が並んだクラス写真の中で、そこには歪んだ口元をした14歳のリエコがいた。どの集合写真でも、きっと彼女は一生懸命笑おうとしたのだろう。
わたしは充実しているんだ、と言いたかったのだろう。
でもその努力はすべて不発に終わっている。
隅っこでぎこちなくピースサインをする自分がいるだけで。